ヽ(・∀・ヽ)トッ!!(ノ・∀・)ノテモ!!ヽ(・∀・)ノイイ!「熊谷うどん」でのランチを終え、ぉ次ゎ2つめのメイン目的地である、渋沢栄一先生の故郷ぇ向かいます。ε≡≡ヘ( ´∀`)ノ
こちらにも4月ぐらひの訪問を計画していましたが、新しい一万円札の肖像に渋沢先生が選ばれてしまったため、人出が増えて混んでると( ;´Д`)いやぁぁぁぁぁー!なので、少し間を置いてから行くことにしました。
まづわ「渋沢栄一記念館」を目指すことにしました(*'∀')ノ。
妻沼から西方向に田園地帯を20分ほど走り、広い駐車場がある「渋沢栄一記念館」に到着しました。
玄関の上には、新一万円札の肖像に採用されたことを祝す横断幕が掲げられており、それに便乗したものかは不明ですが、駐車場には大型観光バスも停められていました。
今が旬なスポット?【渋沢栄一記念館・青淵公園・旧渋沢邸「中の家」】
記念館の建物は地域の公民館としても活用されているよーで、ホールの方では地域のイベントの準備が進められていました。
それでも館内のかなりの部分が「渋沢栄一資料室」として公開されていて、無料で見学することができます。ヽ( ´▽`)ノ
予想していた通り、室内にはバスツアーらしき団体の方々がいらっしゃり、わりと長い時間同じ場所でずーーっと説明を聞いてらっしゃいました。
(´-`).。oO(移動しながらその場その場の展示に合わせて説明した方が、退屈しなくて良ささうな気がするのだが....)
残念ながら展示内容や見せ方を比較すると、飛鳥山公園内にある「渋沢史料館」https://www.shibusawa.or.jp/museum/の方がずっとまとまっているカナ?(ノ´∀`*)
(まぁ「渋沢史料館」の方は無料でゎありませんが・・・)
さてぉ次ゎ先生の生家である「中の家(なかんち)」に行くことに(*'∀')ノ。
記念館でゲットした案内図によると、ちゃんと駐車場も完備されているので、車で移動しても良かったのですが、その間が「青淵公園」として整備されているよーなので、ここを散策しながら歩いて行くことにしました(・・ )))。。。
陽射し強めで気温も高めでしたが、湿気が少なく爽快でした。( ´ー`)フゥー...
公園一帯が低湿地帯のようで、姿こそ見ぇませんでしたがウシガエルの鳴き声が響いていました。
15分ほど歩いて、「中の家」に到着しました。(*'∀')ノ
こちらでは近くにある小学校の図工の授業なのでしょうか、写生をしている児童たちが大勢いました。
無料で開放されているのゎ(・∀・)イイ!!のですが、内部を開放していない建物が多く、開放していても中に入ることもができないなど、観光地としての開発はあまりされていないようです。
すぐ裏には先生の雅号の由来となった「青淵の池」があるのに、あまり観光のお客さまを誘導できていない気がします。(*'∀')ノ
渋沢先生に関する情報だけが目的なら、飛鳥山公園の史料館でも用は足りますが、生誕地を訪れてみることによって、初めて渋沢先生とゆー人物のバックグラウンドを知ることができた気がします。
農村部でありながら稲作が主体の地域でなく、藍玉や養蚕とゆーよーな商品作物を扱う地域であったことが、貨幣経済や資本とゆーものを身近に意識できる環境だったんぢゃないのカナ?(ノ´∀`*)
それがのちの業績につながったとゆーよーなことを、現地の感覚で知ることができ、わざわざ訪れた甲斐がありました。ε-(´∀`*)ホッ
そのようなことを考えながら、再び公園の中を散策しつつ記念館の方に戻り、ぉ次の目的地である”世界遺産”へ向かいます。(*'∀')ノ
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人が住んでいる世界遺産【田島弥平旧宅と同案内所】
途中利根川を渡ることなく、地続きの県境を越えて群馬県伊勢崎市に入り、一瞬だけ埼玉県深谷市の飛び地を通過してから、再び群馬県伊勢崎市にある「田島弥平旧宅」のそばまでやって来ました。(*'∀')ノ
まー飛び地とゆーても、運転中の車窓からで、( ′∇ソ ヨーワカランかったし、わざわざ降りてチェックしたところで、だから何?って感じだし・・・。
こちらゎ世界遺産と言っても、普通に建っている農家の一軒家なので、その場に駐車場や展示施設など一切ありません。_| ̄|(、ン、)ノ
そのため少し離れた場所にある、廃校になった小学校の建物の中に、「田島弥平旧宅案内所」https://www.city.isesaki.lg.jp/kanko/kanko/spot/5347.htmlとゆー施設が設けられていて、駐車場や資料の展示室があり、世界遺産本体である旧宅へはここから歩くことになります。
案内所の敷地内の駐車場へ停めて、先にこちらの案内所の中を見学することにしました。(*'∀')ノ
( ′∇ソ ヨーワカランかった養蚕についてのいろいろなことや、その中で田島弥平先生の業績なども知ることができました。
さしづめこちらは「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産として、「富岡製糸場」の原料となる繭の供給源として、その成功を支えたとゆー位置づけになるのでしょうか?
それだけでなくこちらの資料室で、このあたりに”飛び地”が多く発生している由来などについても、スタッフの方からお話を聞くことができました。ヽ( ´▽`)ノ
もともと利根川の川筋は幾度となく変わっていて、昔の境界線が今の川筋と合わなくなっていることが、最大の原因のよーです。
しかも昔は中州を農地として(集落があった時期もあるよーですΣ(゜ロ゜屮)屮)フツーに利用していたため、簡単に境界線を変更することができなかったとゆー事情もあったとのことでした。(・∀・)ほう
このへんの農地わ水田でなく桑園がメインなので、少々川が増水しても中州でもダメージが少なひからかも?(ノ´∀`*)
”飛び地”に関する疑問が解消でき、ぃょぃょ世界遺産本体の方へ向かいます。
5分ほど歩いたところに警備員の方が立っていて、その先に旧宅があるよーです。
現在も普通に人が住んでいるため、見学できるのは外観の一部だけなので、きわめて短時間で見学を済ますことができました。(*´Д`)=з
(´-`).。oO(住んでる人にとっちゃぁ、世界遺産になってえれー迷惑してるんぢないかなぁ....)
ちなみにこの場所は、埼玉県との県境から100mも離れていないため、埼玉県はほんのわずかな距離で世界遺産なし県になっています。(今さら境界線変更交渉を持ち掛けても、群馬県側が(・∀・。)(-∀-。)ウン♪とゎ言ゎねーだろーな。( ´,_ゝ`))
見学を終えて、リスタートするタイミングでの時刻は15:45。...φ(´C_,`*)
施設見学系は、寄れてもあと1ヶ所だけ。ヽ(;Д; )
見学時間がかかりそーな「新田荘歴史資料館」http://www12.wind.ne.jp/tomohm/index.htmlはパスすることにして、「旧中島家住宅」へ向かうことにしました。
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荒れてる感ゎ否めなひヽ(;Д; )【旧中島家住宅】
https://www.city.ota.gunma.jp/005gyosei/0170-009kyoiku-bunka/bunmazai/shinotabunka04nakajimatei.html
上武大橋を渡って群馬県の本土へ渡りε≡≡ヘ( ´∀`)ノ、利根川の北側に沿うように伊勢崎市から太田市へ進みます。
「旧中島家住宅」はその先にある熊谷市の”飛び地”の手前にあり、こちらも埼玉県境から100mも離れていません。
開館時間が16:30まででしたが、なんとかそれまでに間に合いました。ε-(´∀`*)ホッ
こちらの「旧中島家住宅」の”中島”とは、「日本の飛行機王」と呼ばれた中島知久平氏のことで、かつて「隼」や「疾風」などの軍用機を製造していた「中島飛行機」の創業者でもありす。
当時世界有数の航空機メーカーの創業者宅とゆーこともあって、広大な敷地に建つ豪華な近代和風建築の邸宅です。
入館は無料なのは(・∀・)イイ!!のですが、中に入れるのは応接室などほんの一部だけで、あとは屋外から内部を見ることができる部分もありますが、公開されているのは全体の半分程度といったところでせうか?(*´ο`*)=3
国の重要文化財に指定されてわいるものの、一部を除いてあまり整備されていないという印象です。
重要文化財指定からまだ日が浅いから、そのうち改修されたりするのカナ?(ノ´∀`*)
多少の有料化なら反対はしないので、せっかくの歴史的建造物なので、もぅ少しなんとかして( ゜д゜)ホスィ…。
邸宅の規模の割に、見学にかかる時間が少なく済んでしまったため、一転して時間に余裕ができてしまいました。ヽ( ´▽`)ノ
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(下)へつづく...φ(´C_,`*)