三寒四温の日々がつづいているもののよーやく季節的にも暖かくなって、路面凍結やら降雪やらの不安もなくなってきたこともあり、今回の「遠足ドライブ」ゎ、よーやく北の方角&ゃゃ遠くぇε≡≡ヘ( ´∀`)ノ。
以前から行こうカナ?(ノ´∀`*)と考へていたスポットとして、茨城県筑西市(旧:下館市)にある「板谷波山記念館」があったのですが、新型コロナウイルスに影響されづにオープンしているよー㌨で、行ってみることにしました。(*'∀')ノ
”下館”とゆーロケーションが、高速道路からのアクセスが今ひとつな場所とゆーこともあり、「板谷波山記念館」をメインの目的地にして、その前後に立ち寄りスポットを追加するプランにしました。(*'∀')ノ
そもそも「板谷波山先生」についてわ、2019年9月に「遠足ドライブ」で笠間を訪れた折に、「茨城県陶芸美術館」http://www.tougei.museum.ibk.ed.jp/にあった映画「HAZAN」で使用したオープンセットを見て、その後に作品を鑑賞したりしたことを通じて、基礎的な知識を(σ・∀・)σゲッツ!!することができました。
その後10月にゎ、「田端文士村(記念館)」https://kitabunka.or.jp/tabata/artist/494/の方を訪れる機会があり、田端時代の旧居跡なども訪ねました(・・ )))。。。
今回ゎそーいった”波山先生シリーズ”の集大成とゆーべきもので、春を待って満を持して実施する運びとなりました。゚゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
「板谷波山記念館」がある”下館”ゎ、東北道&常磐道&北関道の中間地点に㌃ため、行き帰りとも途中の立ち寄りスポット設定がマストになります。(*'∀')ノ
ちょーど(・∀・)イイ!!具合に、以前からつくば市にある「小田城跡」ぇ行きたひなぁと思っていたので、行きゎ常磐道を使って土浦北ICから立ち寄ってみることにしました。
帰りゎ北関道の真岡ICから入って東北道を経由することにして、”真岡”あたりでどっかに立ち寄ることに...φ(´C_,`*)。
”真岡”ぇゎ過去に一度だけ短時間立ち寄ったことがあり、ちょろっとだけ土地勘もあるし、近場に日帰り温浴施設もあるので、時間があれば立ち寄ってみよーカナ?(ノ´∀`*)
そしてどこでランチしよーかなぁと思ひ、ルート上に何かしら目ぼしいものがないものかと、あれこれリサーチしてみたところ、「下館ラーメン」なるご当地ラーメンを発見(*゜Д゜) ムホムホ。
それぢゃぁそれをいただいてみっカナ?(ノ´∀`*)ってことで、よーやくプランが決定。ヽ( ´▽`)ノ
事前リサーチした結果、どの立ち寄りスポットも通常通りにオープンしているとのことで、プラン通りに実施することにε≡≡ヘ( ´∀`)ノ。
(´-`).。oO(こんなご時世だから、急遽クローズになるリスクもあるけど....)
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思ひのほか充実Σ(゜ロ゜屮)屮【小田城跡歴史ひろば】
好天に恵まれた中、常磐道を北に向かってε≡≡ヘ( ´∀`)ノ。途中渋滞などもなく、土浦北ICで下りてから一般道R125を下妻方面ぇ進み、順調なペースで最初の目的地に「小田城跡歴史ひろば案内所」に到着。ヽ( ´▽`)ノ
案内所そばにある駐車場に車を停め、先に予習をばとゆーことでまづわ案内所の中に入ってみることに(・・ )))。。。
建物の正面側で工事をしていましたが、臨時の通用口の方から中に入ることができました。ε-(´∀`*)ホッ
こちらの「小田城」ゎ鎌倉時代からつづくお城で、「鎌倉殿の13人」の一人である「八田智家」を祖として、「関東八屋形」にも列せられるほどの名門である「小田氏」の本拠地でした。
また南北朝争乱の際には北畠親房が入城したことで、関東地方における南朝方の中心地になり、「神皇正統記」もここで書かれたとゆーことなど、基礎的な知識を学ぶことができました。゚゚+。:.゚ヽ(*´∀`)ノ゚.:。+゚
もっとあっけなくスルーできるよーな展示施設かと思ていましたが、予想以上にじっくりと展示内容に見入ってしまひますたが、ぉ次ゎよーやくぉ城の跡の方ぇ(・・ )))。。。
案内所の建物の裏から城跡まで、「つくば霞ヶ浦りんりんロード(桜川土浦自転車道)」https://www.ringringroad.com/が一直線に通っていて、案内所の場所にわしっかりと駅(筑波鉄道の常陸小田駅)の痕跡が残っていました。(ノ´∀`*)
そのままお城跡まで歩きましたが、自転車道は城跡を避けるよーに通ているのに対して、鉄道の方はどーやら城跡を対角線状に、クロスオーバーしていたよーです。Σ(゜ロ゜屮)屮
(´-`).。oO(どーせなら線路引いちゃったいきさつとか、そっからどぅ復元したかなんてことも紹介してほしかったかも....)
土塁で構成された平城で、思っていたよりも広いなぁとぃぅのが率直な印象。
平日の午前中だからか、ほぼ(・о・)ヒトイネな状況でした。(*'∀')ノ
土塁のほかに堀などがめぐらされているとわいえ、要害的な要素は皆無で、名門一族の巨大な館跡といったところでせうか(ノ´∀`*)。
野戦による合戦が主体で、攻城戦の概念が乏しい時代に築城されたため、しょーがないのかもしれませぬが、その後も大幅な縄張など基本構造をそれほどいぢらなかったため、時代が下って戦術が進化していく中で、後北条氏ゃ上杉謙信らの猛攻には耐えられるわけもなく、何度も落城したよーですヽ(;Д; )
(´-`).。oO(基本的な攻城兵器である、雲梯ゃ破城槌の接近ゃ使用を妨げるのに有効な、桝形の配置もないしなぁ....)
交通の要衝的な価値もある立地なのでせうが、なぜ小田氏がこの拠点にこだわり続けたのか謎┐(゜~゜)┌。
小田城の廃城と軌を一にするよーに小田氏も滅亡してしまひましたが、時代の流れを見る目がなかったんですかねぇ?ヽ(;Д; )
(´-`).。oO(名門ゆえの傲りとか、あったんですかねぇ....)
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タイムスリップする的な【平沢官衙遺跡】
トータルで1時間ぐらひと想定していた「小田城跡」で、思ぃのほか時間がかかってしまったため予定時間をオーバー。ヽ(;´Д`)ノ
ぉ次の目的地として、近くにある「平沢官衙遺跡」にも立ち寄るつもりでしたが、パスしちゃぉぅか迷ぃましたが、ルート的におおきく外れることもなさそーなので行ってもることにε≡≡ヘ( ´∀`)ノ。
R125をさらに下妻方面ぇ進んでから、標識に沿ってわき道に入って10分ほどで到着。(*'∀')ノ
こちらは「つくばの正倉院」とも呼ばれる、千年以上前の奈良・平安時代の”常陸国筑波郡”の役所跡の遺跡で、駐車場からいきなり復元された建物の姿を見ることができました。(*'∀')ノ
資料館の如き展示施設もないよーで、それほど所要時間をかけずに見物できそー㌨で、パスしなくてヨカタ。ε-(´∀`*)ホッ
遺跡の場所ゎ高台の中腹のゆるい傾斜のあるよーな場所にあり、水害とか水はけを考慮したよーな地形にありました。(*'∀')ノ
整備された歩道を登って、復元された高床式倉庫の近くまで(・・ )))。。。
フェンスに囲まれていましたが、訪れたタイミングでわゲートが開放されていて、建物の間近まで近寄って見ることができました。ヽ( ´▽`)ノ
真ん中の建物は扉などが( ´ゝ`) 無なので、中まで入れそーな気がしてましたが、想像以上に高床式のため、とても登って入れるほどの高さでゎぁりませんでした。_| ̄|(、ン、)ノ
復元された建物の周囲にも、建物跡の標識や柱の位置などを示す杭などがあり、ここにゎかなり多くの建物が建っていたよーです。
そしてそのほとんどが、税として納められた農業収穫物の倉庫だったとのことで、当時の”官衙”とゆーものを官庁街のよーなものとしてイメージしていましたが、実際ゎずいぶんと様子が違っていたょぅです。(ノ´∀`*)
ここまで少し時間的に押し気味だったため、このへんとか下妻あたりでランチとゆーことになって、ご当地ラーメンをパスすることになるかと危ぶまれましたが、なんとかプラン通りの行程でいけそーな展開になりました。ε-(´∀`*)ホッ
さて、ぉ次ゎぃょぃょ今回のメインの目的地である”下館”ぇε≡≡ヘ( ´∀`)ノ。
(中)へつづく...φ(´C_,`*)