しょうたろうブログ

ほんの出来心から始めてみました。

看板建築と雛巡り(上)

 
 
昨年「江戸東京たてもの園」で”看板建築”の企画展https://www.tatemonoen.jp/special/2018/180320.phpを見て、茨城県石岡市の市内にわりと”看板建築”の建物が残っていることを知り、いずれ訪れたひなぁと思っていました。
 
街歩きなので季節的な影響が少ないし、距離的にも手ごろなロケーションでもあるので、「遠足ドライブ」で訪ねてみることにしました。(*'∀')ノ
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当日は雨模様になってしまいました。ヽ(;Д; )
石岡という場所は、茨城県内では土浦と水戸の中間とぃぅことで、速達型の特急「ひたち」が停車しないなど、スルーされがちな場所ですが、旧常陸国府が置かれるなど古い時代から栄えた場所でもあり、”看板建築”以外にもいろいろと興味深い場所かも?
 

 

 
今回は石岡市街地の街歩きがメインなので、そこを中心にルートを組み立て、その前後に立ち寄れるスポットをさがすことにしました。o(._.= ._.)o キョロキョロ
 
まづゎ「常陸風土記の丘」とゆー場所が気になったので、ピックアップすることにしました。
石岡市街から向かう延長線上に筑波山があるので、その流れでどこか立ち寄り湯をしていくことも、企てることにしました。(*'∀')ノ
 
あと逆方向である霞ヶ浦に、東日本で2番目に大きい「舟塚山古墳」とゆーのがあるらしーので、特に古代史とか古墳のマニアでゎありませぬが、寄ってみることにしました。
 
天気予報も雨でスタート時点でも雨模様でしたが、なんとか降っていない状況のまま常磐道を北上します。特に渋滞もなく、スムースに千代田石岡ICまで進み、そこからは一般道を走って、最初の目的地である「舟塚山古墳」を目指しました...φ(´C_,`*)。
 
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看板建築

看板建築

 
 

茨城県の古墳は初訪問(*'∀')ノ【舟塚山古墳群】

石岡の市街地に入る少し手前で右に曲がり、霞ヶ浦の方へ進みます。石岡市は霞ヶ浦の北端の高浜入に面していますが、「舟塚山古墳」をはじめとする古墳群は、その少し手前にあります。
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道路沿いに駐車場が整備されているので、そちらに車を停めて行ってみることにしましたが、駐車場の看板には「府中愛宕山古墳」の名も書かれていましたので、そちらにも寄ってみようと思います。
 
まずは「舟塚山古墳」の方ぇ(・・ )))。。。
舟塚山古墳は、恋瀬川の河口近く霞ヶ浦を見下ろす台地上に位置し、南には高浜の入り江、西には紫峰筑波山を望む景勝地にある前方後円墳です。全長186メートルの前方後円墳で、茨城県下最大、東日本でも第2位を誇ります。
昭和47年の発掘調査で周溝から円筒埴輪が、円墳からは木棺が発見され短甲・直刀・盾などの副葬品が出土し、墳形から5世紀後半の築造と推定されています。墳丘は3段に土を盛り、その周りには周溝が巡り大阪府の大仙古墳(仁徳天皇陵)と同じ様式になっていて、大和政権との関わりがうかがわれます。
当時の大豪族、茨城 国造・筑紫刀禰尊(つくしのとねのみこと)の墓という説が有力だと考えられているます。
国指定の史跡になっています。
 
 
駐車場から民家や畑の中を少し歩くと、手前に小さな神社と鳥居があり、その裏手に後円部にあたる墳丘があります。
 
神社の周辺には木々が生えていますが、「太田天神山古墳」のような手つかずのような感じではなく、草が刈られるなどの整備はされていました。
自由に墳丘に登れるようなので、登ってみるとなかなかの高さで、周囲の平地を見下ろせる感じです。
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あまり視界が良くはありませんでしたが、筑波山も望めます。(*'∀')ノ
霞ヶ浦まで望むことはできませんでしたが、古代の霞ヶ浦は、北浦ゃ外浪逆浦だけでなく、牛久沼ゃ手賀沼、印旛沼まで含めた「香取海」というもっと広い海だったので、もっと間近に望むことができたのかもしれません。
(とゆーか古墳を建造する際の資材運搬にも、「香取海」が利用されていた可能性も?)
 
逆に「香取海」を航行する船にとっては、良いランドマークになっていたのではないかと思われます。
 
次に「府中愛宕山古墳」ぇ向かぅため、一度駐車場の方に戻ります。。。((( ・・)
舟塚山古墳の北側、約300メートルに位置する前方後円墳で、舟塚山古墳群の中でも2番目の大きさの規模です。 霞ケ浦に舟を乗り出す形なので出舟といわれ、舟塚山古墳は入舟と呼ばれます。築造年代は舟塚山古墳の築造時期に近く、およそ6世紀前半、埋葬者は霞ヶ浦周辺で勢力を持った、舟塚山古墳の埋葬者に次ぐ有力者と考えられています。 1897年(明治30)年に東京大学の坪井正五郎教授が発掘調査を行い、無文素焼の壷七個を発見しましたが、詳細は不明で、内部構造については確認されていません。 1979年(昭和54年)の周溝確認発掘調査により、全長が96.6m、後円部径57m、前方部幅57m、後円部高8.5m、前方部高7.5mの規模を持つことが分かり、その墳形は応神天皇陵(大阪府)に類似しています。この発掘調査で、円筒埴輪や象形埴輪片が出土しました。

 

「府中愛宕山古墳」は道をはさんだ反対側にありますが、こちらの方が駐車場からずっと近い位置にあり、より住宅に近接した場所にあります。
 
こちらも「舟塚山古墳」と同じように手入れはされていましたが、サイズは半分ぐらひといったところカナ?(ノ´∀`*)
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手前の畑でネギを収穫しいて、その良い香りが印象的でした。ヽ(。・ω・。)ネギネギ!
どちらも石室がどうなっているのとか、盗掘とかされてるのかとか、そーゆーことまでゎ(  ′∇ソ ヨーワカランでした。
思いのほか古墳らしさが残っていて、そこに自由に登ったりできてヽ(・∀・ヽ)トッ!!(ノ・∀・)ノテモ!!ヽ(・∀・)ノイイ!
あまり観光地化されていないのも(・∀・)イイ!!
 
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前方後円墳と東国社会: 古墳時代 (古代の東国)

前方後円墳と東国社会: 古墳時代 (古代の東国)

 
 
なんとか雨に降られることもなく古墳の見物を終えて、ぃょぃょ石岡の市街地ぇε≡≡ヘ( ´∀`)ノ
 
街歩きのスタート地点として、市の観光施設にもなっている「まち蔵藍」へ向かうことにしました。(*'∀')ノ
 
市内のあちこちに商業施設の駐車場があって、わりと平気で停められさぅでしたが、「まち蔵藍」にも隣接した広い無料駐車場があるので、こちらに車を置いて街歩きをすることにしました。
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メインストリートに電柱ゃ電線とかがない、いい(≧∇≦)b感じの街のょぅです。
 
(中)へつづく...φ(´C_,`*)